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東京オリパラ組織委員会会長交代劇にみるグッドガバナンスの本質
投稿者 川井 圭司:2021年3月1日
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。…」という森喜朗東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の発言は国内外から女性蔑視として批判が高まり、開催5か月前の辞任という歴史上類を見ない事態を招くことになりました。そして、辞任から数時間後、後任として日本サッカー協会相談役の川淵三郎氏に白羽の矢が立ちましたが、密室人事であるとして再び批判を浴び、その案も即座に白紙となりました。最終的にアスリートを中心とする8名の組織委員会理事(男女4名ずつ)による候補者検討委員会が立ち上げられ、次期会長候補として、橋本聖子五輪担当大臣を理事会に推薦することになりました。
今回のドタバタ劇を見て、組織委員会会長の選出方法に疑問を持たれた方も多いのではないでしょうか。そこで、このコラムでは、スポーツ組織における役員選出、意思決定のあり方について考えたいと思います。
2013年から開催までの7年間で経済効果が30兆円を超えると試算された東京オリパラに象徴されるように、スポーツは単なる娯楽を超えて、教育的、社会的、そして何より経済的にも大きなインパクトをもたらすツールとなりました。これを背景に、スポーツ界の決定事項が社会の関心を引くことも多くなってきました。一方でその決定事項がどのように決定されるのか、つまり誰によってその意思決定がなされているのかについては、あまり注目されることはありませんでした。ここで、改めて団体の意思決定を担う役員の選出についてスポーツ先進国に目を向けると、日本の選出方法とは大きく異なることがわかります。それらの国では、競技団体の役員は団体を構成するクラブの会長によって選出され、クラブの会長はその構成員たる会員による選挙で選出されます。こうして競技団体の意思決定にはこれを構成するクラブの会員の意思が間接的にではあれ反映される仕組みになっているわけです。これに対して日本では、団体の構成員つまり競技者が役員を選出する競技団体が殆どありません。理事が評議員を推薦し、この推薦に基づいて選ばれた評議員が理事を選任するというようなものが代表的なかたちです。この状況を、わかりやすく日本の政治機構に置き換えれば、国会議員の推薦した有識者会議により国会議員が選任されるようなものなのです。
もちろん、現実の日本社会では、国会議員は国民によって選出されます。そのため、国会議員は主権者である国民(社会の構成員)の声に耳を傾けます。そうでないと、次の選挙で国民に選出されないからです。これに対して競技団体の役員は競技者に選出されるのではなく、既存の役員に推薦され選出されるのです。このことは役員の行動原理に大きく影響します。自らを推薦・選出してくれた既存役員の意向を意識して行動することはむしろ当然のことでしょう。言うまでもありませんが、(実質的にみて)誰に選出されるのかは、誰の利益を代表するのかという点でとても重要なことなのです。
2000年を境に、スポーツ界では国際的にも、団体の意思決定の民主化が最重要課題となっています。1998年のソルトレークシティ五輪招致をめぐる汚職スキャンダル、2015年のFIFA汚職スキャンダルが契機となって、国際競技団体はグッドガバナンスをキーワードにさまざまな改革に取り組むことになったのです。このグッドガバナンス論は、構成員に対する透明性、説明責任、構成員による民主的意思決定を三本柱としています。主権者(構成員)の団体として、公明正大な組織運営を実現するというアプローチです。スポーツ先進国では、このような民主主義の基本原理にもとづいて競技団体が運営されているのです。
では、オリンピックの開催を担う組織委員会はどうでしょうか。ここで、2000年に開催されたオーストラリア・シドニー五輪の事例を取り上げたいと思います。五輪招致に際して1993年にシドニー五輪組織委員会法(Sydney
Organising Committee for the Olympic Games Act
1993)が制定されました。この法律は、シドニーを州都とするニューサウスウェールズの州法で、シドニー五輪組織委員会の役員の選出について、その権限と責任の所在を詳細かつ明確に規定しています。ちなみに、組織委員会の役員14人のうち、会長と6人の理事が州首相(日本でいう東京都知事)の推薦に基づいて任命されることになっています。つまり、役員の半数は州の住民から(間接的に)選出された州首相が役員の選出に大きな権限と責任を持っているのです。突き詰めていえば、その州首相を(間接的に)選んだ州民の判断に委ねられているわけです。なお、他の理事の2人はオーストラリア連邦の首相による推薦(ただし、州首相の意向を尊重)をもとに選任されます。
さらに、豪州オリンピック委員会(AOC)の会長や事務局長も組織委員会の理事となりますが、前述のとおり、スポーツ先進国における国内競技団体の役員はその構成員の投票によって選出されます。競技団体の構成員たる競技者はクラブの会員としてクラブの役員選出や重要な決定について議決権(1票)を保持しているのです。クラブの代表は地域の競技団体の代表選出について1票を保有し、さらにここで選出された代表が州、そして国レベルの代表を選出するという間接民主主義のシステムが構築されているのです。そのため、AOC役員の意識はおのずと団体の構成員たる競技者に向けられます。「アスリートファースト」が自明の構造になっているわけです。加えて、豪州国籍の国際オリンピック委員会(IOC)委員やシドニー市長も組織委員の理事を構成することになっています。
このように、州民、国民、市民、競技者、IOC、それぞれの利益代表者が対話のなかで利害調整を図り、組織委員会のかじ取りをすることを、州民の意思を反映する州法で規定しているのです。
今日のスポーツは、商業化の中でさまざまな利害関係者の意向が複雑に絡み合うものとなってきました。そのような利害関係を調整するうえで、誰のための組織なのか、誰の意思を反映させて決定していくことが望ましいのかをしっかりと考えることが重要です。競技団体の民主的意思決定システムが脆弱な日本では、こうした観点から組織のあり方を見直していく必要があります。今回のケースでも会長の交代で本質的な問題は解決しないと感じている人も少なくありません。それは、これらの問題が人の問題というより、むしろ構造の問題だという認識があるからでしょう。スポーツ界は閉鎖的であるという批判が聞かれますが、これは構成員たる競技者あるいは役員個人というよりも競技団体の現在の組織構造に向けられるべきではないでしょうか。「スポーツは社会の写し鏡」ともいわれます。構造の問題に着目して日本のスポーツ界の今後を考えていくことは、日本社会にとっても、非常に大切なことといえるでしょう。
参考文献:
川井圭司「スポーツ界におけるこれからの意思決定-国際的動向にみる『民主的』決定とグッドガバナンスの本質」同志社政策科学研究22-2、27‐39頁(2021年)