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アントロポセン(Anthropocene)
投稿者 西山 渓:2020年6月1日
1. 今何時?
地球の一生を24時間の時計に例えたとして、その一生の終わりを午前0時とすると、今その時計の針は何時何分を指しているでしょう?
これは、私がいま適当に考えた質問ではなく、アメリカの原子力科学者会報(Bulletin of the Atomic
Scientists)というグループの委員が、地球の壊滅による人類絶滅の可能性のわかりやすい指標として1947年から始めた「世界終末時計(Doomsday Clock)」の質問です。
この世界終末時計の特徴的なところは、時計の針が進んだり戻ったりするところです。つまり、人間が努力をして地球をより良いものにすれば、時計の針は戻る(=滅亡までのタイムリミットが伸びる)し、逆に人間が自分勝手なことをして地球を荒らしまくると、時計の針はグンと進みます。
世界終末時計の針は気候変動、戦争、核兵器の開発や使用、世界的な病気の蔓延など様々な要因によって進んだり戻ったりしてきました。世界終末時計のプロジェクトが始まった1947年、つまり日本に原爆が落とされてから2年後、そして世界が冷戦の初期に突入した頃、時計の針は「23時53分(=滅亡7分前)」でした。この時点でもうすでに何か嫌な予感がしますね。さらに、アメリカとソ連(今のロシア)が水爆実験に成功した1953年には、「23時58分(=滅亡2分前)」でした。ただ、1963年にアメリカとソ連が部分的核実験禁止条約に調印した際には、時計の針はグッと戻り、「23時48分(=滅亡12分前)」となりました。もっとも世界が滅亡から遠のいたのは、ソ連が崩壊し、ユーゴスラビア連邦が解体した1991年の「23時43分(=滅亡17分前)」でした。最近の出来事に関連して言えば、福島第一原子力発電所の事故が起きた翌年の2012年には、原子力技術の安全性の揺らぎから、時計の針は「23時55分(=滅亡5分前)」となり、またアメリカのトランプ大統領が気候変動抑制に関するパリ協定からの離脱を表明した2017年には、時計の針は「23時57分30秒(=滅亡まで2分30秒前)」となりました。
さて、もう一度質問に戻りましょう。今、地球は何時何分でしょうか?
原子力科学者会報のメンバーが今年1月に発表した報告によれば、2020年は世界終末時計プロジェクト史上、「もっとも滅亡に近い」そうです。時間はなんと、「23時58分20秒(=滅亡100秒前)」です。さらに悪いことは、これは新型コロナウィルスの世界的な流行より前の報告であり、おそらく現在の世界はもっと滅亡に向かっていると考えた方が良いのかもしれません。もちろん、この世界終末時計は仮想的なものであるという点で、これを全面的に信頼することも危険ですが、私たちはこの数年の間にすでに世界の危機の様々な予兆を見てきたと思います。たとえば、オーストラリアでのかつてない規模の森林火災や、日本の各地で毎年起きる記録的な豪雨、そしてまさにいま話題となっている新型コロナウィルスの世界的な流行などがその例です。
2. アントロポセン
地球がどんどん危機に直面しているここ数十年の諸現象を肌で感じながら、世界中の科学者、政治学者、人類学者、哲学者などは、もはや地球は私たちがこれまで理解していたものとは異なるものとして「本質的な変容」を遂げているのではないかと考え始めています。注意して欲しいのは、ここでいう「本質的な変容」とは、単なる時代の変化ではないということです。私たちはよく、何か世界を揺るがす大きな出来事があると、「○○の時代」という言葉を使います(テロの時代、アフター・コロナの時代など)が、いまの地球はそうした何か単一の出来事による時代変化だけではもはや説明ができないレベルにまで変容しているのではないか、というのが「本質的な変容」が意味するものです。そして、その「本質的な変容」を説明する際に用いられるのがアントロポセン(Anthropocene)という言葉です。これは日本語では「人新世」と訳されたりしていますが、まだこの訳については論争があります。ちなみに、新海誠監督の映画『天気の子』の中にもこの言葉がちょこっとだけでているので、気になる人はチェックしてみてください。この映画のテーマは、まさにこれから説明するアントロポセンそのものです。
アントロポセンという言葉は、人類が新たな地質年代に突入したことを表すために、オゾンホールの研究でノーベル賞を受賞したパウル・クルッツェンによって造られました。地球の地質学的な歴史は非常に複雑であり、最初の生命が生まれたとされる太古代や、アンモナイトで有名なジュラ紀など様々な区分がありますが、私たちが現在住む地球の地質年代は「完新世(Holocene)」と呼ばれています。地球の歴史からすればあっという間かもしれませんが、この完新世は氷河期が終わってから現代まで、つまり1万年以上前から現代までという気の遠くなるような長い年月を指します。これは言い換えれば、地球の地質学的な区分はここ1万年の間は全く変化がなかったにもかかわらず、近年になってそれがついに変化しようとしているということを意味します。日本ではまだそれほど有名な言葉ではないかもしれませんが、アントロポセンは今や世界の政治家、ジャーナリスト、活動家、研究者らにとってある種の合言葉のようなものとなりつつあります。それほどまでに、この言葉のインパクトが大きかったということです。
アントロポセンの特徴については様々な議論がありますが、ここではその中でも3つの要素に注目したいと思います。
ひとつめは、アントロポセンは決して喜ばしい地質学的な変容ではないということです。以下の、地球圏・生物圏国際協力研究計画(International Geosphere-Biosphere Program)によるGreat
Accelerationと呼ばれる表が表しているように、人類の生き方はここ1万年の間に緩やかに変化をしてきたというよりも、むしろ1950年代を境に劇的に変化し、現代に至るまでのわずか数十年の間に地球システムに深刻な影響を与えてきました。多数の核実験や温室効果ガスの排出、社会の工業化などがその例です。そうしたダメージの中には、非常に長期的なものも含まれています。たとえば、原子力発電によって生じた放射性廃棄物が完全に処理されるには、数世代もの時間がかかると言われています。つまり、80歳前後までしか生きることができない人間が、そのキャパシティを超えたものを生み出し、その傷痕を地球に深く残し続けるということです。確かに、個々の人間がとった行動や決定それ自体はそれほど大きな影響をもたらさないかもしれません。でも、その蓄積が結果として後の世代の人々の行動にも影響や制限を与え、最終的に地球に深刻なまでのダメージを与え続けることがあります。これを、政治学者のジョン・ドライゼクとジョナサン・ピッカリングはその著書The
Politics of the Anthropocene(Oxford University Press, 2018)のなかで「病理的な経路依存性(pathological
path-dependency)」と呼びました。要するに、アントロポセンとは、人類が完新世の長い歴史の中で地球に与えてきた様々な傷跡と付き合い続けなければならない、暗く長い地質学的な年代のことを指すのです。
2つ目の特徴は、アントロポセンが世界の経済活動と密接な関連を持っているということです。人類はここ数十年の間に、意図的に地球を滅ぼそうとしてきたわけではありません。しかし、多くの政治哲学者が主張するように、今の社会では、物だけでなく、道徳・倫理観や文化など文字通りあらゆるものがお金と交換可能なものとなりつつあり、こうした市場中心主義の考えが社会のあらゆるところに蔓延すると、人々はたとえ自らの行為が地球に傷跡を残すということを頭ではわかっていたとしても、経済的な利益・快楽を優先させるようになります。その結果、石炭開発による海洋汚染や、温室効果ガスの過剰排出、大規模な森林伐採など、数世代にわたる長期の改善策が必要となる問題が世界中で起きるようになりました。そのため、歴史学者のジェイソン・ムーアらは、現代社会はアントロポセンというよりもむしろキャピタロセン(Capitalocene:
capitalは資本の意味)と呼ぶ方がふさわしいのではないかと論じています。
アントロポセンの最後の特徴は、世界がどんどん一つになっていき、それと同時に世界はどんどん分断しているという、一見すると矛盾するような現実を私たちに突きつけているということです。私たちが地球に住む以上、アントロポセンが提示する問題はあらゆる人々に共通の問題となっていますし、なるべきです。気候変動やそこから生じた様々な危機については、私たちはすでに嫌というほど肌で感じていますし、この世界が市場中心になればなるほど、それによって生じた地球の危機はすべての人に、地位や名誉に関係なく、分け隔てなく降り注いでいきます。そうした意味で、アントロポセンは、私たちの世界が、言語や地理的な距離に関係なく、ますます一つになっているという現実を突きつけています。
ところが、世界が一つになればなるほど、人々の対立・分断は激化しています。その理由のひとつは、誰がアントロポセンにおける地球の危機の責任の主体になるかが明確ではないという点にあります。たとえば、地球温暖化は様々な国が温室効果ガスの過剰排出や森林伐採などの様々な問題が折り重なって生じます。地球温暖化の結果、海面温度上昇が促進し、それによって南極の氷が溶けて海面が上昇し、そしてツバルなどの小さな島が水没の危機に瀕し、結果として「気候変動難民」と呼ばれる新たな難民を大量に生み出すこととなりました。でも、具体的に、いったいどの国の、誰がこの気候変動難民に対して責任を負うべきなのでしょうか?森林伐採を行う企業でしょうか?自動車を毎日運転する人でしょうか?それとも体育の授業の後に地球温暖化係数の高いガスを用いる制汗スプレーを使う学校の生徒たちでしょうか?貧しい国の人も豊かな国の人と同じように責任を負うべきなのでしょうか?結局のところ、世界が一つになったことによって、あらゆる人が、多かれ少なかれ、様々な事柄の責任の主体ともなりうるし、被害者にもなりうるのです。にもかかわらず、多くの人は自らの責任について気づかなかったり、あるいは知らないふりをしようとします。そして、人々はますます分断されていくのです。
3. アントロポセンを生きる人々
アントロポセンはまだ到来していないという人もいれば、人類はすでにアントロポセンに突入したという人もいます。少なくとも、多くの学者・学会が認めているのは、アントロポセンは不可避的なものであるということです。遠くない未来(あるいはもうすでに)、人類は完新世で生じた様々な問題のツケを払わなければならない時を迎えようとしています。
そうした中で、アントロポセンを生きる人々、特に子どもや若者の意見には特に耳を傾ける必要があるでしょう。スウェーデンのアクティヴィストであるグレタ・トゥーンベリ氏をシンボルとする100万人以上の子ども・若者による気候変動ストライキの世界的な広まりは、アントロポセンと決して無関係なものではありません。ドライゼクとピッカリングは、アントロポセンにおいては旧来の政治や政策の考え方が全く通用しなくなる可能性があり、新しい政治参加や意見表明の方法に政治が開かれる必要があると主張していますが、こうした若者による気候変動デモは、まさにこれまでにはない形で子どもや若者が大人たちの政治を変えていこうとする試みであると言えます。なぜなら、これらの気候変動デモは、たんに政治エリートたちに何かアクションを起こさせることを目指すだけでなく、これまで私たちが完新世のなかで当たり前だと思い込んでいた様々な言葉(「持続可能性」「将来」「アカウンタビリティ」など)に再定義を求め、多くの人にこれから到来するであろう危機を伝えることで、社会を変容させようと試みているからです。
最初にあげた世界終末時計は時間を行ったり来たりしますが、多くの若いアクティヴィストたちは、時計の針はもう戻らないと考えています。地球の時計の針が残り100秒になった今、私たちはこれまでの政治が全く耳を傾けてこなかった子ども・若者の声をもっと真剣に受け止めるような新しい政治のあり方を考える必要があるのかもしれません。
参考文献
Dryzek, J., & Pickering, J. (2018). The politics of the Anthropocene. Oxford University Press.
Moore, J. (Ed.) (2016). Anthropocene or Capitalocene? Nature, history, and the crisis of capitalism. PM Press.