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司法の中立:トランプ前大統領の誤算

投稿者 川浦 昭彦:2021年2月1日

投稿者 川浦 昭彦:2021年2月1日

 1月20日にアメリカでは政権交代が行われた。トランプ氏はバイデン新大統領の就任式に出席することなくホワイトハウスを去った。昨年11月の選挙結果が全米各州で正式に認定されバイデン大統領の勝利が確定したあとも、トランプ氏は演説やツイートで何度も自分が勝利したと繰り返していた。例えば1月6日に連邦議会上下両院合同会議で行われていた次期大統領選出の手続きを阻止するために、トランプ支持者達が議会議事堂に乱入したが、その直前には彼らの前で「我々は大統領選挙に勝ったのだ。圧倒的に勝利したのだ(we won this election, and we won it by a landslide.)」と熱弁していた。

 こうした態度は、「国民からの支持を得ている強い指導者」を自らの支持者の前で演じ続けることで、退任後の政治的影響力を維持するという緻密に計算された戦略に基づいていたのかもしれない。或いは、何らかの理由により選挙では自分が勝利したと本当に思い込んでいて、退任させられるのは投開票のプロセスで大規模な不正が行われたからだと怒り心頭の状態だったのかもしれない。どちらなのかは本人以外には分からないため、この点を推測することにはあまり意味がない。しかし、トランプ前大統領の様々な行動は、民主主義を支える制度について考えるための材料を提供してくれる。その一つは三権分立である。その中でも本稿では司法と行政・政治の関係について議論したい。

 トランプ大統領の任期中に、連邦最高裁判所判事として3名が新たに就任した。中でも9月18日にギンズバーグ判事が逝去された際には、大統領選挙まで残り2か月を切っていたにも関わらずトランプ大統領は後任にバレット氏を指名し、異例の速さで投票日までに承認手続きが終えられた。当時トランプ氏は選挙結果が自分に都合の悪いものになった場合には法廷闘争に持ち込むことを公言しており、自らが選んだ判事を最高裁判所に送り込むことも再選の手段の一つであると考えていた可能性がある。毎日新聞の記事「米国の選択:2020年大統領選 保守派判事就任 トランプ氏、反転材料に」(2020年10月28日朝刊2頁)では「トランプ氏は「最後は最高裁の判断を仰ぐことになるだろう」と語っており、選挙前にバレット氏を承認する必要があると強調していた。トランプ氏は自分が指名した判事である以上、「バレット氏は自分に有利な判断を示す」と期待しているようだ。」と述べている。
 
 選挙結果はバイデン候補勝利となったが、トランプ陣営は複数の州での投票・開票のプロセスに不正があったと主張して、数多くの訴訟を起こし、中には連邦最高裁判所に審議を求めた場合もあった。しかし、確たる証拠を示さないままでの訴訟を最高裁が取り上げることはなかった。トランプ氏にとっては、司法が政治から中立を保ったことは想定外であったかもしれない。

 しかし、国によっては司法が政治に関与することも観察される。タイでは2001年から継続的に政権を担っていたタクシン・チナワット元首相が、2006年の軍事クーデターにより国を追われた。それ以来タイの政治においてはタクシン元首相支持派と反対派の間での争いが継続しており、司法も時にはその争いに深く関与した。例えば2008年には、当時政権を担っていたタクシン支持派の首相に対して憲法裁判所が失職の判決を下した。この首相は料理が趣味であったが、テレビの料理番組に出演して報酬を得たことが憲法で定められた「首相の副業禁止条項」に抵触したとの判断であった。またその後任の首相は公民権を剥奪されて失職した。憲法裁判所は前年の選挙での組織ぐるみの選挙違反を理由に与党に対して解党を命じ、党首である首相を含む党幹部の公民権が5年間停止されたのである。憲法裁判所の決定によるタクシン派の首相2人の失職は一年という短期間に起きたことであり、政府支持者は「司法による政治介入だ」と反発したものの、司法は制度的に行政から独立しているため、政権側に有効な対抗策はなかった。最近では、2019年の総選挙の際に国王の姉にあたる王女を首相候補として擁立したタクシン派政党が、王室の政治的中立性を犯したとの憲法裁判所の判断により解党が命じられた。このケースで司法が解党を命じた政党は野党であり、裁判所は行政から独立して与党・野党を問わず憲法に照らした判断を行っているとの解釈もできる。しかし、司法判断により地位を追われるのはタクシン派であることがほとんどであるため、司法が中立でないとの印象も与えている。

 また、パキスタンでは2017年に最高裁判所が当時のナワズ・シャリフ首相を罷免した。発端は、各国富裕層らによるタックスヘイブン(租税回避地)を使った節税の実態がパナマの法律事務所から漏洩した「パナマ文書」であった。シャリフ首相の不正蓄財もそこで暴露され、野党の提訴に応じて最高裁がシャリフ首相に「不適格」との判断を下した。シャリフ首相は同時に国会議員の資格も失い、翌年には与党党首を退くように最高裁に命令された。

 このタイ・パキスタンの例以外でも司法判断で首相・大統領が交代したケースは見受けられる。それに対して日本では、司法が行政の長たる首相を罷免したり政党を解散に追い込んだりすることは現状では想像できない。しかし、司法と行政、司法と政治の関係は世界では決して一様ではなく、民主主義にも様々な形があることも認識するべきであろう。