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ジビエブームと狩猟問題

投稿者 今里 滋:2020年2月1日

投稿者 今里 滋:2020年2月1日

 「ジビエ」ブームである。ジビエ(gibier)はもっぱら狩猟で得た野生鳥獣の食用肉を意味するフランス語である。ヨーロッパでは狩猟は王侯貴族の趣味であり、猟果としての鳥獣肉は絶妙に料理されて彼らの食卓を飾ってきた。ジビエは現在でも高級食材としてフランス料理をはじめとする欧米の料理界で珍重されている。もっとも、日本でも、仏教的禁忌もありおおっぴらではなかったにせよ、古来鳥獣肉は食されてきた。鶴や朱鷺は江戸時代から格好の鍋用食材であり、猪肉は「ぼたん」、鹿肉は「もみじ」と名前を変えて貴重なたんぱく源であった。ことに京都では旧雲ヶ畑村に朝廷の御猟場があり、旬のジビエが皇族や貴族に嗜まれてきた。ちなみに、今出川校地から北に少し上がった鞍馬口にあるぼたん鍋の名店「畑かく」の先々代は雲ヶ畑の出身であり、御所北東角近くの出町枡形商店街には知る人ぞ知る猪肉専門の「改進亭」という老舗肉屋がある。

 そのジビエが、最近日本の飲食界でも普及してきた。鹿肉を使ったカレーを供する店も目につく。その背景の一つは、獣害の急増に伴い捕殺される猪や鹿の有効活用の一環である。もう一つはジビエの美味しさとヘルシーさの認識が広がってきたことだろう。ストレスをかけずに捕殺されできるだけ早く血抜きをして適切に解体・保存された猪肉や鹿肉の旨さは申し分なく、とくに鹿肉は、脂肪分が和牛ロースの約30分の1で鉄分やコバラミン等が非常に豊富なため、高脂血症や貧血予防の意味でも、きわめてヘルシーである。ニュージーランドでは百万頭もの鹿が放牧されて食肉(Venison)化され欧米に輸出されているのは、単に美味しいからというだけではないのである。日本でも、環境活動家にして作家のC.W.ニコル氏が著書『Venison:うまいシカ肉が日本を救う!!』((株)かんぽう、2013)の中で鹿肉の様々な効用を力説している。

 ジビエ利用促進はまた政府の方針でもある。省庁としては農水省と環境省がその推進役を担っている。上述したように、ジビエは獣害対策の副産物でもある。獣害対策の基幹的法律は「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」(=鳥獣保護法:環境省所管)と「鳥獣による農林水産業等に係る被害の防止のための特別措置に関する法律」(=特措法:農水省所管)であり、これらの法律に基づいて膨大な予算が獣害対策に注がれている。その予算措置を受けて実際に野山で組織的な害獣捕獲を担うのは多くの場合各地の猟友会やそこを基盤とした有害鳥獣駆除隊である。しかし、現在生じている大きな問題は、この政策実施の担い手である狩猟者が全国的に激減し、しかも急速に高齢化していることである。狩猟免許所持者の実に7割近くが60歳以上であり、「ハンターこそ絶滅危惧種である」と揶揄する声すらある。獣害被害は拡大する一方であるにもかかわらず、獣害に立ち向かう人材が著しく不足しているのである。

 したがって、こうした狩猟人材不足に対処することは重要な政策的課題だと言わねばならない。そのような中、注目すべきニュースがあった。龍谷大学政策学部の学生3人が京都府相楽郡笠置町でジビエを加工・流通する会社を設立するというのである(京都新聞2019年11月20日朝刊23面)。順調にいけば、2020年1月下旬から営業開始だそうだ。こうした学生によるジビエ起業で成功した例として、九州大学の学生が在学中に設立した(株)糸島ジビエ研究所があるので、決して無謀な起業ではない。すでに述べたように、ジビエの商品価値は捕殺(=止め刺し)から解体・保存までのスピードに左右される。しかし、衛生的で機能的な加工処理施設は全国的にまだまだ少ない。龍大の3人がこうした施設を確保し、安定した数の捕獲獣を地域の狩猟者の協力を得て調達できれば、京阪神飲食界の膨大なジビエ需要が彼らを待っているはずである。

 最後に、大学院(総合政策科学研究科)における獣害・狩猟研究について触れておきたい。総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーション・コースでは有機農業と並んで獣害・狩猟の研究にも取り組んできた。このコースでは、現在進行している社会的課題を解決する方策を仮説として提示し、その仮説を社会実験と呼ばれる具体的な活動を通じて研究者自らが証明するという研究手法が履修上の必須条件として要求される。したがって、狩猟・獣害対策の研究では、研究者自らが狩猟免許やその手段としての銃所持許可を取得し、わなや銃を用いて実際に鳥獣の捕獲を行うことになる。現在、3名の大学院生がこのテーマの研究に従事し(内一人は2018年度に修了)ており、指導教員の私を含めると3人が狩猟免許と銃所持許可を取得している。また、後期課程在学中の1名はセミプロのハンターである。

 大きな研究成果の一つは捕獲テクノロジーの開発である。自らシステム・エンジニアリングの会社を経営する院生が中心となって、加速度センサーとLPWA(Low Power Wide Area)ネットワーク*1を利用した安価なわな捕獲自動通知システムを開発し、現在商品化に向けて鋭意改良を重ねている。このシステムを使うと、獣が箱ワナや括りワナにかかると、携帯電話のアプリ(LINE)に即座に通知が送られるものである。すでにこのシステムによって10頭近いシカやイノシシを捕獲している。このシステムを使えば、わなを定期的に見回る時間的・体力的コストがほぼなくなり、かつ捕獲と止め刺しの時間を短縮することで、鮮度のよい獣肉(=ジビエ)を確保することができる。

 また、レザー・クラフト工房を経営する別の院生は、捕獲した鹿の革を宇治茶のタンニンで鞣して加工し、京都ブランドのバックスキン製品の試作に成功している。2019年秋には京都市内のデパートで展示会を開き、好評を博している。

 増えすぎた害獣を捕獲して農作物や自然環境を守るだけでなく、その肉や皮を適切に利用することは生命倫理にもかなうソーシャル・ビジネスとなりうる。ソーシャル・イノベーション・コースの獣害・狩猟研究では、そうしたソーシャル・ビジネスの革新的プロトタイプを創造して行ければと期待しているところである。

写真1新開発の通知システムで捕獲したイノシシ(滋賀県大津市比叡平)
写真1:新開発の通知システムで捕獲したイノシシ(滋賀県大津市比叡平)
写真2:捕獲した鹿の皮を剥ぐ筆者。(滋賀県大津市比叡平)
写真2:捕獲した鹿の皮を剥ぐ筆者。(滋賀県大津市比叡平)
写真3:宇治茶のタンニンで鞣した鹿革製の名刺入れ。©gonzi original leather & silver
写真3:宇治茶のタンニンで鞣した鹿革製の名刺入れ。©gonzi original leather & silver

1 LPWA無線は、誰でも、安価に、低消費電力で、遠く離れた(500 m~数 km以上)場所から少量のデータを伝送することを可能にする通信網のことである。