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ウクライナ戦争とロシアの少数民族

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投稿者 富樫 耕介:2024年7月2日


 2022年2月に始まったロシアによるウクライナ戦争は、現在も継続しています。この戦争が国際政治に齎している影響は既に各所で議論されていますが、ロシア国内に与えている影響は、あまり見えてきません。ここでは、ウクライナ戦争がロシアの少数民族に提起している問題を考えてみたいと思います。
 ロシアは多民族連邦国家です。2020年の国勢調査では、ロシア人が人口の約7割、残りの約3割が非ロシア人となっています1。民族の分類は194に及びます。ロシアというと「ロシア人の国家」だと理解しがちですが、多民族国家なのです。ロシアの連邦制は、少数派民族(非ロシア人)による自治的原則に基づいて形成される連邦主体(共和国・自治州・自治管区)と、多数派民族(ロシア人)による地理行政的原則に基づいて形成される連邦主体(地方・州・連邦都市)によって構成されます。83の連邦構成主体(クリミア、ウクライナ東部4州を含まない)のうち、約3割に当たる26が民族自治単位なのです2
 ロシアの連邦制は、垂直的にも(連邦中央と共和国や地方などの縦の関係)、水平的にも(共和国と地方などの横の関係)、非対称的だとされています。つまり、財政的に豊かな地方もあれば、貧しい地方もある。中央との交渉力やリーダーシップで政治的影響力が強い地方もあれば、弱い地方もあるということです。ロシア人を含む各民族を平等に扱う必要がある一方、民族は多様で人口規模も凝集度(地理的に同じ場所に人口が集中しているか)も違うので民族問題にどう対応するのかは、ロシアにとって1990年代から大きな問題でした3
 有事であれば、これは尚更、問題になります。たとえば、戦争の人的損害が民族ごとに偏っていれば、大きな問題になります。そもそも、ウクライナ戦争の開戦理由は、ロシアの少数民族が納得できるものなのかも疑問です。プーチン大統領は、開戦前からウクライナでロシア系民族が虐殺されていると述べ、ウクライナという国家や民族の独自性を否定し、ロシア人との一体性を強調していました。しかし、戦争が多民族で構成されるロシア国家(Россия)や国民(Россиянин)のためではなく、民族的なロシア人(Русский)のためであるのなら、ロシアの少数民族は、何のために戦地にいくのか疑問を抱いても仕方がありません。
 プーチン政権は、戦争遂行のため、地方や民族自治単位から多数の人々を前線に送っていると言われています4。これは、モスクワなどの大都市よりも動員の反発が見えづらく、失業や貧困、低賃金などの問題を抱える地方の方が兵士としての動員も契約も容易だと考えているのだと思われます。あるいは、地方の知事が連邦中央の顔色を伺い、動員に協力的なことも理由かもしれません。実際に、私が研究している北コーカサス地域は、失業や低賃金などの問題を抱え、連邦からの補助金に依存し、権威主義的な指導者による統治で汚職や不正が絶えません5が、チェチェンのように多数の兵士が戦地に向かっています。
 戦争中、国家は情報を統制するものです。これはウクライナ側も同じことですが、ロシアの場合は、強固な権威主義体制6なので、犠牲者の規模がより不透明になっています。Mediazonaという団体がウクライナ戦争における犠牲者数を連邦構成主体ごとに提示しています7。この情報は、家族によるソーシャル・メディアへの投稿、現地のニュース報道、地方当局による公式発表からカウントしたもので、実数より少ないと言われています。しかし、この数値を見ると、少数民族地域で相対的に死者数が多いことがわかります。
 先日、テロが発生したダゲスタンという共和国8も北コーカサスでは、ウクライナ戦争での死者数がもっとも多くなっています。ロシア政府は、イスラーム過激派によるテロや攻撃に長年苦しんできました。北コーカサスがその中心地で、最盛期には220件ものテロが発生していました。2012-2022年には、北コーカサスでテロ攻撃によって480名ものの命が奪われました。しかし、実は、2022年2月から2024年6月までにロシア政府が遂行するウクライナ戦争で北コーカサス連邦管区では2067名、隣接する南部連邦管区では2133名の軍人たちが死亡しています。これは当局発表のデータですが、10年間でテロの犠牲になった人の4.3倍の死者を2年4ヶ月で生み出しているのです9
 プーチンは1999年に登場した際は全くの無名でしたが、チェチェンなどのテロに屈しない姿勢を見せて高い支持を得ました。いわば、プーチンは、「テロから国を守る指導者」として政治キャリアをスタートさせたのです10。その約20年後に、プーチンが遂行するウクライナ戦争によって、少数民族を含むロシア国民(Россиянин)が脅威に晒されています。このことは、多民族連邦国家としてのロシア(Россия)の一体性に問題を提起し、新たな分断や対立の火種になる可能性を秘めているように思われます。

Итоги ВПН-2020,https://rosstat.gov.ru/vpn/2020/Tom5_Nacionalnyj_sostav_i_vladenie_yazykami (2024年7月1日閲覧、以下同)
2 ロシアの連邦制については、富樫耕介(2023)「連邦制とチェチェン」『現代ロシア政治』法律文化社をご覧ください。
その中で唯一、武力紛争へと発展したのが、チェチェンです。チェチェンについては、富樫耕介(2015)『チェチェン 平和定着の挫折と紛争再発の複合的メカニズム』明石書店をご覧ください。
この問題についてはNHK BSの『国際報道』で2023年9月19日に「ロシア「動員令」から1年 少数民族の苦悩」として取り上げられ、私もスタジオで解説しました。 
北コーカサス地域が抱える問題については、富樫耕介(2021)『コーカサスの紛争』東洋書店新社を、北コーカサスの民族については富樫耕介(2023)「チェチェン人と北コーカサスの諸民族」『中央ユーラシア文化事典』丸善出版をご覧ください。
ロシアの権威主義的特徴についてはFreedom Houseをご覧ください。
https://freedomhouse.org/country/russia
7  https://en.zona.media/article/2022/05/11/casualties_eng
8 2024年6月23日にダゲスタンの首都マハチカラとデルベントでテロがあり、19名が死亡しました。このテロについて私もNHKのニュースで解説しました。テロの報道記事は以下をご覧ください。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240624/k10014490781000.html
9 これらのデータについては、独立系ネットメディアがカウントし、公表しています。Кавказский Узел, 20 июня 2024 г., https://www.kavkaz-uzel.eu/articles/401117 
10 そのプーチン大統領が2024年3月にモスクワでのテロを防げなかったことは政権にとって打撃であったと言えるでしょう。モスクワでのテロとロシア政権が直面している課題については、富樫耕介(2024)「「テロとの戦い」に苦悩するロシア」『外交』第85号をご覧ください。