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「自助・互助・共助・公助」
投稿者 畑本 裕介:2022年3月1日
社会保障の役割分担についてよく使われる表現に「自助・互助・共助・公助」というものがある。地域の生活保障の費用負担をだれが担うのかという文脈で使われる。「自助」は、天は「自ら助くる」者を助く、ということわざを語源とする。自助努力という四文字熟語ならなじみ深いだろう。社会保障の文脈では、「自らの負担」により市場からサービスを購入すること等を指す。残りの3つはこの自助をもとにして造語されたものであろう。「互助」は、費用負担が制度的に裏付けられていない自発的なものであり、地域住民の自発的支援やボランティアという形で、支援の提供がなされるものを指す。「共助」は主に社会保険を指し、介護保険や医療保険にみられるように、リスクを共有する被保険者の間で負担されるものである。「公助」は公の負担、すなわち税による負担である。生活保護や社会福祉の制度を指すとされることが多い(地域包括ケア研究会
2017: 50)。
前政権の首相が総裁選挙の出馬会見で「自分でできることはまず自分でやってみる、そして、地域や自治体が助け合う。そのうえで、政府が責任を持って対応する」(伊藤 2021:
24)と言って自助・共助・公助と順番をつけた。支援提供は最初に公助から始めるのではなく、自助が出発点との発言だ。この順番がいつの間にか議論の前提であるかのように語られている。
これらの言葉が今日的な意味合いで最初に政府の文書で使われたのは、厚生省・高齢社会福祉ビジョン懇談会報告「21世紀福祉ビジョン~少子・高齢社会に向けて」(1994年)である。ただし、この時には、「互助」の表現はなく、「自助・共助・公助」であった。また、「共助」は社会保険ではなく地域の自発的支援を指して使われていた。しかし、後になって、共助の意味は社会保険のことであると意味を変えて使われるようになっていった。そのため、新たに地域の自発的支援を指す語が必要となり、「互助」という言葉が作られ、追加されたのである(里見
2013)。
「〇助」による分類は、一見すっきりとしていて分かりやすい。しかし、本当は分類しがたいものを無理に分けてしまったり、順番がつけられないものに順番をつけてしまったりする弊害も生んでいる。
まず、社会保険を指す「共助」は「公助」と分けられそうで分けられない。日本では年金保険や医療保険は公的な社会保険として運営されている。しかし、この社会保険は一般的な保険ではないからである。一般用語での保険とは、思わぬリスクに備えて掛け金を皆で負担することによって共同で備える仕組みである。よって、掛け金を自発的に支出しない人には権利がないというイメージが持たれている。また、掛けた保険料に応じていざという時の給付も決まると考えられている。少し専門的な言葉を使うと、「給付・反対給付均等の原則」という。
しかし、保険と名前がついていても、国の社会保険の財源は保険料だけではない。例えば、年金保険のうち国民年金、厚生年金の基礎年金部分の給付額の5割は国税によって補填されている。また、公的医療保険のうち国民健康保険の給付する医療費の5割が国税等によって補填されている。中小企業者が主に加入する協会けんぽの医療保険(全国健康保険協会管掌保険)でも、その給付費の16.4%は国税によって補填されている。
これだけではない。国民健康保険は、協会けんぽや大企業等の健康保険組合から支援金を受け取っており、給付に対して自らの保険料で賄っている部分は50%を大きく割り込む。つまり、かかる費用の過半以上を保険料以外で運営しているのである。もはや社会保険なのか税方式による医療提供体制なのか不明である。むしろ、財源の割合を考えると税方式に近いのではないだろうか。費用の出所を税だけではなく支援金などを迂回しているため税方式とは断定できないだけである。少なくとも保険ではないだろう。
一般的な保険とはかけ離れているのに、社会保険を保険とみなして、保険料を払った人にしか利用の権利がないなどと言うロジックはもはや破綻している。よって、社会保険の共助と税財源の公助それぞれがあって、まずは共助、共助できないときには公助で支援しましょうという論法は詭弁でしかない。両方ともはじめから公助である。
同じく「自助」も不明確である。自助というカテゴリーを作ってしまうと自助しなければならないかのような規範が押し付けられてしまう。結果として、本来は公助であっても公助とみなしたくない心理が働いてしまわないだろうか。例えば、子育てにおいて、働きに出かけるのに保育所を使わずに自費でベビーシッターを雇って働く人は自助で、自治体の認可した補助金の入る保育所を使えば公助なのだろうか。利用者としては、保育所に利用料を払っているのだから自らサービスを購入している感覚だろう。何よりも自らお金を稼いで自活しているのだから、わざわざ自助からのけ者にされる言われはないと思いたくもなるだろう。自助と公助を分けた弊害である。
もともとなかった「互助」も後からわざわざ加える必要はあったのだろうか。もちろん、互助の意味するところである「地域の住民の自発的支援やボランティアという形」は必要である。行政の提供する給付金やサービスを利用するにも、地域の住民がお互いに知らせ合って当事者意識を高める必要がある。また、サービス向上を求める声を上げやすくするためにも地域の自発的なつながりは強化していかなければならない。こうした地域住民の自発的なつながりは、近年とみに注目を集め、「地域共生社会」の理念を厚生労働省が打ち出している。
しかし、自助・互助・共助・公助という語の並びに、互助が入る違和感はぬぐえない。〇助は、地域の生活保障の費用をだれが負担するかという話なのに、なぜ地域住民の自発的支援が入ってくるのだろうか。互助による無料の自発的な取り組みを強調することで、公助や共助の費用負担を軽減させる意図があると勘ぐってしまいたくもなる。国の責任である公助を後退させ、むやみな財政緊縮路線につなげる、よこしまな発想があるなら、批判されて当然だろう(福地
2020: 7-12)。
また、地域にはしがらみもあるからそれから離れる権利も確保されるべきである。閉鎖的で抑圧的な付き合いを強要する日本のムラ社会は戦後の大問題だった。
冒頭で示した前政権首相が総裁選挙出馬会見で述べた〇助の順番は、論理的な破綻を抱えている。そうであるなら、そもそも社会保障を考える議論の前提にはならないだろう。
参考文献
伊藤裕香子, 2021,『税と公助 置き去りの将来世代』朝日新書
里見賢治, 2013,「厚生労働省の『自助・共助・公助』の特異な新解釈――問われる研究者の
理論的・政策的感度――」『社会政策』(第5巻第2号):1-4
地域包括ケア研究会, 2017, 『地域包括ケア研究会報告書―2040年に向けた挑戦―』(地域
包括ケアシステム構築に向けた制度及びサービスのあり方に関する研究事業報告書)
福地潮人, 2020,「介護保険制度と『地域包括ケアシステム』構想の課題――介護保険法施行
20周年に寄せて――」『賃金と社会保障』No.1756(2020年6月下旬号): 4-16