同志社大学 政策学部

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「社会科学的暴力」の彼岸へ―史心と詩心、そして人文知

投稿者 井口 貢:2023年1月6日
投稿者 井口 貢:2023年1月6日
 学生時代のことです。恩師の一人であった山田鋭夫先生(1942~:理論経済学者、今はレギュラシオン理論の泰斗のおひとり)から経済史家・内田義彦(1913~1989)のある著作を読むことを勧められました。『作品としての社会科学』(岩波書店、1981)がその本でした。ここでその詳細について記述することは、限られた紙幅のなかでは無理がありますので、内田が示唆した綺羅星のような言葉を二つ記したいと思います。これは僕が強く印象に残り今も大切に感じている語です。
 「社会科学的暴力」と「底辺としての文学」がそれにあたります。皆さんは、政策学部で「社会科学」を中心に学んでいます。経済学史の研究を中心にしてその名を残した内田はいうまでもなく社会科学者でした。しかし敢えて彼がこの二つのキーワードを使ったのかということを、社会科学を学ぶ皆さんであれば尚一層大切にして欲しいと思います。簡単にいえば、「社会科学」を「社会科学」という蛸壺のなかで偏狭かつステレオタイプで捉えてはいけないということだと思います。「底辺の文学」というのは、内田の言葉を借りるならば「社会科学の創造に能動的に寄与」するものとして、「文学魂」を求めている点にあるのです。例えば、皆さんその名はご存じかと思いますが、経済学の世界だけにとどまらず社会思想を中心に多大な分野で足跡を残し、今も影響を与え続けているK.マルクス(1818~1883)は、詩人でもあり、とりわけのちに妻となるイエニーに捧げた情熱は一冊の詩集となって世に残っています。
 またわが国近代の政策思想の嚆矢となった柳田國男(1875~1962)は、若い頃は森鴎外(1862~1922)の知遇を得た将来を嘱望される新体詩人でした。柳田の政策科学の処女作「遊海島記」(1902)は、まさに地域社会における経済と文化の融和ある関係を説く、文人の文体で綴られた「常民」(ordinary people)の「史」であり「誌」であり、そして何より「詩」でもあったのです。
 また、柳田は『日本の祭』(1942)という著作のなかで、「史心というものだけは、いかなる専門に進むものにも備わっていなければならない」と述べています。この書は戦前に、東京帝国大学での、いわば教養科目を彼が担当したときの講義録がベースとなっています。
 マルクスと柳田という偉大な思想家を取り上げて、いかに彼らが若い頃より如何にして、文人として自らの社会科学思想を築き上げたのかと記したところで、彼らが天才・秀才だったからと思ってしまう人も皆さんのなかにはいるかも知れません。確かに彼らは「栴檀は双葉より芳しい」人たちだったのでしょう。しかし、あきらめてはいけません。僕たち普通の人間でも「三つ子の魂は百までも」生き続けることが可能です。
 そのためには若い皆さんこそ、史心と詩心の涵養を基礎とした人文知を自己のなかで醸成することができる学びを、政策学部で実現してください。
 最後に、「社会科学的暴力」というステレオタイプから脱却する手立ては、何よりも読書です。「読む・書く・観る」は読書なくしては砂上の楼閣と堕してしまいますから