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理念ばかりでは空疎な政治

投稿者 畑本 裕介:2017年8月1日
私もそうである学者やジャーナリストは政治における理念を重視する。どういう現実があるかを客観的に認識し、どういう考え方が望ましいかという言説を紡ぐのが社会の中での役割だからだ。しかし、政治家は職分が違うから、どういう理念であれ、それをどう実現していくかが重視される。
2017年7月2日の東京都議会選では、小池百合子都知事の率いた都民ファーストの会が大勝した。定数127議席のうち49議席を獲得し、都議会第1党となった。また、公明党などを合わせた小池知事支持勢力全体では合計79議席を獲得し、過半数の64議席を大幅に上回る結果となった。
一方で、それまでの第1党であった自由民主党は23議席にとどまり歴史的な大敗となった。これは、中央政界で自民党政権が長期にわたっているため、どうしても慢心してしまうところがあり、気の緩みが原因ともいえる政治腐敗が次々に表面化したことが大きく影響したと言われている。愛媛県今治市にある加計学園の獣医学部開設認可において首相の個人的なお付き合いが影響力を持ったとの報道、稲田防衛相が選挙応援演説で自衛隊も自民候補の当選を支援しているとも受け取られかねない失言をしたこと、元自民党の豊田真由子議員のパワハラの発覚など、世間を大きく騒がせた様々な問題である。
とはいえ、今回の都議選でもっと大きく影響したのは、小池都知事が時代の変化をうまく演出したことだろう。一番に注目されたのは、もちろん豊洲市場移転の問題を暴き、これを政治的争点として変化をもたらす政治を演出したことである。老朽化した築地市場の機能を豊洲に移転させるという都の政策が、三つ前の都知事時代に決定され、新施設が実際に建設されていた。淡々と実行された政策ではあったが、豊洲はもともと東京ガスの工場が立地し土壌汚染があったという事実とその対策が不十分であるということは、なかったことのように扱われていた。小池都知事は、こうした事実を問題として糾弾した。これは、食卓に上がる食品が汚染される危険を明らかにしただけでなく、都議会が一部の議員の利権によって歪められている実例として世間に強く印象付ける効果を持った。小池都知事は、利権が温存され停滞した都政を刷新し、いわば近代化するリーダーであるとの評価を勝ち取った。こうした手腕が評価されたのは、都議選での大勝利で明らかである。
豊洲の汚染問題が科学的な意味での実害をもたらすのかどうかは意見が分かれるようだ。とはいえ、この問題を巡った政治状況から、政治においては人々が実際の変化を求めていることが明らかになったのは確かであろう。どのような理念が語られるかではなく、どの方向であれ、停滞や腐敗を打破してほしいのである(もちろん、変化が単なる演出であるにすぎないとの恐れは付いて回る)。
こうした事実に目を向けない政治勢力が敗北するのは時代の趨勢であり、今回の都議選だけではない。例えば、昨年2016年のアメリカ大統領選でのトランプ勝利でも同じ原理が働いていたのではなかろうか。これまた、トランプ大統領の政策や理念が正しいのかどうかということには意見が分かれるが、停滞や腐敗を打破するメッセージが意味を持ったのは確かだろう。理念だけは正しいリベラル派の底の浅さをうまく突き、実際の変化への実行力を強く印象付けたことが勝利に導いたのである。
アメリカ民主党の思想的基盤の一つと言える「リベラル」の建前主義は感情的な反発を招いていた。NHKの番組でも有名なマイケル・サンデルは、かつてリベラルの態度が空疎だとして次のように皮肉っていた。
(リベラルはポルノに反対しながら認めるのは)「ポルノをより少なく嫌っているからではなく、むしろ寛容とか、選択の自由とか、公正な手続きを価値あるものとすることから、それを認めるのである。」(サンデル『自由主義と正義の限界』勁草書房、2009年、v頁)
本音ではポルノに感情的な反発を持っているのなら、そう本音で言えばよい。それを包み隠して、客観性を装う正しそうな言葉を並べては、相手は反発するだけだ。これを最近の流行言葉では「上から目線」と言うらしい。
上から目線の言葉は、腰の引けた言葉である。そのため、結局は何の変化も生み出さない。こうしたことを生活の実感から感じ取っている人々に、リベラルの綺麗なだけの言葉が響かないのは当然である。
リベラル派は、弱者の救済、社会の多様性の擁護などを声高に主張する。これはまったく正しいのであるが、この時に相手を威圧する言い方をしがちでもある。リベラルが時に使う言葉のように、あなたは多様性や変化を認めない頑固者だと相手を責め立て反発を買ってしまう。
空疎な言葉で相手を威圧するが、結局は変化をもたらさずに現状維持でしかない。こうした政治はもはや必要とされていない。批判もあろうが、左であれ、右であれ、どの方向に向かうにしても、実行力を示すことがもはや政治の前提なのである。理念を語る言葉だけでは政治にならないし、政策は一歩も前に進まない。
2017年7月2日の東京都議会選では、小池百合子都知事の率いた都民ファーストの会が大勝した。定数127議席のうち49議席を獲得し、都議会第1党となった。また、公明党などを合わせた小池知事支持勢力全体では合計79議席を獲得し、過半数の64議席を大幅に上回る結果となった。
一方で、それまでの第1党であった自由民主党は23議席にとどまり歴史的な大敗となった。これは、中央政界で自民党政権が長期にわたっているため、どうしても慢心してしまうところがあり、気の緩みが原因ともいえる政治腐敗が次々に表面化したことが大きく影響したと言われている。愛媛県今治市にある加計学園の獣医学部開設認可において首相の個人的なお付き合いが影響力を持ったとの報道、稲田防衛相が選挙応援演説で自衛隊も自民候補の当選を支援しているとも受け取られかねない失言をしたこと、元自民党の豊田真由子議員のパワハラの発覚など、世間を大きく騒がせた様々な問題である。
とはいえ、今回の都議選でもっと大きく影響したのは、小池都知事が時代の変化をうまく演出したことだろう。一番に注目されたのは、もちろん豊洲市場移転の問題を暴き、これを政治的争点として変化をもたらす政治を演出したことである。老朽化した築地市場の機能を豊洲に移転させるという都の政策が、三つ前の都知事時代に決定され、新施設が実際に建設されていた。淡々と実行された政策ではあったが、豊洲はもともと東京ガスの工場が立地し土壌汚染があったという事実とその対策が不十分であるということは、なかったことのように扱われていた。小池都知事は、こうした事実を問題として糾弾した。これは、食卓に上がる食品が汚染される危険を明らかにしただけでなく、都議会が一部の議員の利権によって歪められている実例として世間に強く印象付ける効果を持った。小池都知事は、利権が温存され停滞した都政を刷新し、いわば近代化するリーダーであるとの評価を勝ち取った。こうした手腕が評価されたのは、都議選での大勝利で明らかである。
豊洲の汚染問題が科学的な意味での実害をもたらすのかどうかは意見が分かれるようだ。とはいえ、この問題を巡った政治状況から、政治においては人々が実際の変化を求めていることが明らかになったのは確かであろう。どのような理念が語られるかではなく、どの方向であれ、停滞や腐敗を打破してほしいのである(もちろん、変化が単なる演出であるにすぎないとの恐れは付いて回る)。
こうした事実に目を向けない政治勢力が敗北するのは時代の趨勢であり、今回の都議選だけではない。例えば、昨年2016年のアメリカ大統領選でのトランプ勝利でも同じ原理が働いていたのではなかろうか。これまた、トランプ大統領の政策や理念が正しいのかどうかということには意見が分かれるが、停滞や腐敗を打破するメッセージが意味を持ったのは確かだろう。理念だけは正しいリベラル派の底の浅さをうまく突き、実際の変化への実行力を強く印象付けたことが勝利に導いたのである。
アメリカ民主党の思想的基盤の一つと言える「リベラル」の建前主義は感情的な反発を招いていた。NHKの番組でも有名なマイケル・サンデルは、かつてリベラルの態度が空疎だとして次のように皮肉っていた。
(リベラルはポルノに反対しながら認めるのは)「ポルノをより少なく嫌っているからではなく、むしろ寛容とか、選択の自由とか、公正な手続きを価値あるものとすることから、それを認めるのである。」(サンデル『自由主義と正義の限界』勁草書房、2009年、v頁)
本音ではポルノに感情的な反発を持っているのなら、そう本音で言えばよい。それを包み隠して、客観性を装う正しそうな言葉を並べては、相手は反発するだけだ。これを最近の流行言葉では「上から目線」と言うらしい。
上から目線の言葉は、腰の引けた言葉である。そのため、結局は何の変化も生み出さない。こうしたことを生活の実感から感じ取っている人々に、リベラルの綺麗なだけの言葉が響かないのは当然である。
リベラル派は、弱者の救済、社会の多様性の擁護などを声高に主張する。これはまったく正しいのであるが、この時に相手を威圧する言い方をしがちでもある。リベラルが時に使う言葉のように、あなたは多様性や変化を認めない頑固者だと相手を責め立て反発を買ってしまう。
空疎な言葉で相手を威圧するが、結局は変化をもたらさずに現状維持でしかない。こうした政治はもはや必要とされていない。批判もあろうが、左であれ、右であれ、どの方向に向かうにしても、実行力を示すことがもはや政治の前提なのである。理念を語る言葉だけでは政治にならないし、政策は一歩も前に進まない。