同志社大学 政策学部

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真夏に見た白昼夢の思い出

投稿者 清水 習:2016年11月1日

投稿者 清水 習:2016年11月1日
うだるように暑い夏の日、ショッピングモールをぶらついていた。
地方ならではの店もあるものの、東京も京都もあまり入っている店やモノは変わらず
大学生がよく通うお決まりの店の前で足が止まり
学生達が楽しそうに服を選んで微笑んでいるのを見て
昔の失恋を思い出した。

臨床心理学の始祖にフロイトという人がいる。
フロイトをラカン風に理解して社会問題を理解するのが
政治思想のちょっとした流行り。

大学生になると
「自分」とか「アイデンティティー」なんて言う
少しそれっぽいことを考えることにふける時間を持つようになるが
フロイトによれば
我々が普段、「自我」と呼んでいるものは
そんな探しに行くほど大したものではなく
Esという生物的な欲望と
Super-Egoという社会的な要求の中で
選択を迫られる窮屈な存在が「自分」(Ego)なのだそうだ。

例えば、食欲という欲望を満たすには
労働の対価として食料を得るという社会的要求を満たさなければならない。
ところが、どちらも「自分」という風に普段呼んでいるものが欲したものはここには一つもない。
つまり、「食欲」は私の「生物としての体」が「望んだもの」で
食料を得るために行った労働は、社会によって「求められた」ことであるということ。
だから、そこには、「行為」を遂行できたという「自分」しか存在せず
その行為の発端は「自分」には帰結しない。
けれど、その行為にはいつも「感情」がつきまとって
嬉しいとか悲しいとか悔しいとか、「私」の人生に色を添える。

だから、恋がかなわないとき、「人」を求めるという生物の根源的な部分と
そのヒトに望まれるという関係が一致しないと気付いたとき
それまでの「私」という存在とその意味達は否定され、
空っぽな虚しさだけが残ることになる。

だから、そうやって、自分が否定されないために恋に一生懸命になるのだけれど、
それは、「自分」を否定されたくないという「欲望」が加速するだけで、
また「要求」とかけ離れてしまう。

世界的な格差や貧困に対して多くの先進国の人間が支援やキャンペーンを行っている
けれど、その先進国の生活も、あの暑い夏の日の買い物も、
その格差や貧困で成り立っている。
この状況を打破するにはどうしたらいいのか、
まず、失恋のような痛みを知るところから始まるのではないだろうか?