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国民投票シンドローム

投稿者 風間 規男:2016年9月1日
6月23日に実施されたイギリスの国民投票は、EU離脱賛成が51.9%、反対が48.1%という僅差で離脱派が勝利した。国民投票前から、イギリス大蔵省やOECDをはじめとする様々な機関がレポートを発表し、離脱となればイギリス経済は致命的な打撃を受けると警告していた。長年、EU加盟国であることを前提に運営されてきたイギリス経済は、もはや単独で維持できるものではなくなっている。たとえば、EU域内の国々に無関税で製品を送れるというメリットがなくなれば、イギリスからの工場撤退を決断する外国企業も出てきて、多くの雇用が失われることになる。
「議会主権」を伝統とする国イギリスでは、理屈上は、国民投票の結果に反して、離脱反対派が3分の2いると言われる下院で残留を決議してしまうこともできる。しかし、実際問題として、僅差とはいえ国民投票により明確な形で示された「民意」を覆すことは至難の業である。キャメロンの後に首相に就任したテリーザ・メイは、「民意」を重く受け止め、離脱に向けて手続を進めることを表明している。EUとの離脱交渉の行方は不透明だが、数年後、イギリス国民は、自分たちが出した結論に後悔することになるというのが、大方の識者の一致した見方である。
最近、ヨーロッパの政治家たちは、国家にとっての重要な決定にあたり、国民投票で直接「民意」を問う手段に打って出るケースが増えている。この「国民投票シンドローム」ともいうべき現象の背景には、政治不信が深まるなか、国民から表明された「民意」を拠り所として決定を行えば、社会の合意が得られやすいという考えがあるように思える。
しかし、ここには、次の2つの事実について大きな誤解がある。
第1に、「民意」は、気まぐれで、時に不合理な意見を支持することがあるという事実である。政治エリートの多くは、「きちんと説明すれば、国民は一時の感情を乗り越えてきっと正しい選択をしてくれる」と信じ込んでいる。しかし、イギリスの国民投票の帰結を見ればわかるように、マスとしての国民は、感情に流されやすく気分で動く存在である。政治家や既得権益に対して不信感を抱いているところに、「なにかいいことが起こりそう」という予感めいた夢物語が語られると、国民はそれに惹き付けられる。逆に、現実を鋭く見すえた分析は、冷たく、厳しく、そっけないものなので、多くの国民は、目を背け耳をふさぎたくなる。
記憶に新しいのは、2015年5月17日に実施された大阪都構想をめぐる住民投票である。ちょっと思考をめぐらせば、この構想は、ONE大阪に逆行するもので、行政コストを増大させ、経済効果もほとんど期待できないことは明白だ。行政学者・経済学者など専門家の多くは、この構想は論外だと断じていた。ところが、住民投票では、賛否が拮抗し、あわや構想実現の一歩手前までいってしまった。かくも簡単に大衆の気分は合理的な意見を飲み込んでしまうのかと、あの時経験した恐怖は一生忘れないだろう。
第2に、政治家たちは、国民投票が社会の多様な意見をまとめ統合へと導くと考えているようだが、むしろ分裂をもたらす危険性のあることを忘れている。イギリスでは、都市部と農村部、若者と高齢者、ホワイトカラーとブルーカラーとの間で、かなり明確に投票行動が分かれた。また、独立の機運がくすぶり続けるスコットランドでは、残留派が圧倒的多数を占め、独立を目指す理由がもう1つ増えた。離脱によって直接大きな不利益を被る業界や集団は、この結論を素直に受け入れることができないはずだ。今後、EUの離脱をめぐって様々な課題が浮かび上がってくるだろうが、そのたびに、残留派は離脱派に対して怒りを募らせていくであろう。
イギリスの国民投票では、EUに対する分担金がなくなるので、その分社会保障が充実するといった根も葉もないキャンペーンが展開された。大阪都構想でも、これが実現すれば大阪経済が活性化するという根拠の薄い話がまことしやかに語られた。イギリスでは、元ロンドン市長のボリス・ジョンソン、大阪都構想では、橋下徹市長(当時)といった魅力的な政治家が登場し、弁舌鮮やかに演説している様子が連日メディアを通じて面白おかしく報道された。SNSをはじめとする様々なメディアから錯綜した情報が流れ込むなかで、「民意」なるものが健全な形で作られていく保障はどこにもないのだ。
直接国民に賛否を問う国民投票制度の浸透は、民主主義の進展を告げるものなのかもしれない。しかし、民主化が必ず社会を望ましい方向に導くとは限らない。そこに政治家の存在意義がある。政治家の使命は、たとえ国民に不評を買うような結論であっても、次の世代、遠い将来をみすえ、マイノリティの存在にも目を配り、毅然としてその社会にとって最善だと思われる決定をすることである。政治家が重要な政治的決定の責任を国民に押し付けるような形で国民投票を活用するのは、その果たすべき役割を放棄しているように思えてならない。
「議会主権」を伝統とする国イギリスでは、理屈上は、国民投票の結果に反して、離脱反対派が3分の2いると言われる下院で残留を決議してしまうこともできる。しかし、実際問題として、僅差とはいえ国民投票により明確な形で示された「民意」を覆すことは至難の業である。キャメロンの後に首相に就任したテリーザ・メイは、「民意」を重く受け止め、離脱に向けて手続を進めることを表明している。EUとの離脱交渉の行方は不透明だが、数年後、イギリス国民は、自分たちが出した結論に後悔することになるというのが、大方の識者の一致した見方である。
最近、ヨーロッパの政治家たちは、国家にとっての重要な決定にあたり、国民投票で直接「民意」を問う手段に打って出るケースが増えている。この「国民投票シンドローム」ともいうべき現象の背景には、政治不信が深まるなか、国民から表明された「民意」を拠り所として決定を行えば、社会の合意が得られやすいという考えがあるように思える。
しかし、ここには、次の2つの事実について大きな誤解がある。
第1に、「民意」は、気まぐれで、時に不合理な意見を支持することがあるという事実である。政治エリートの多くは、「きちんと説明すれば、国民は一時の感情を乗り越えてきっと正しい選択をしてくれる」と信じ込んでいる。しかし、イギリスの国民投票の帰結を見ればわかるように、マスとしての国民は、感情に流されやすく気分で動く存在である。政治家や既得権益に対して不信感を抱いているところに、「なにかいいことが起こりそう」という予感めいた夢物語が語られると、国民はそれに惹き付けられる。逆に、現実を鋭く見すえた分析は、冷たく、厳しく、そっけないものなので、多くの国民は、目を背け耳をふさぎたくなる。
記憶に新しいのは、2015年5月17日に実施された大阪都構想をめぐる住民投票である。ちょっと思考をめぐらせば、この構想は、ONE大阪に逆行するもので、行政コストを増大させ、経済効果もほとんど期待できないことは明白だ。行政学者・経済学者など専門家の多くは、この構想は論外だと断じていた。ところが、住民投票では、賛否が拮抗し、あわや構想実現の一歩手前までいってしまった。かくも簡単に大衆の気分は合理的な意見を飲み込んでしまうのかと、あの時経験した恐怖は一生忘れないだろう。
第2に、政治家たちは、国民投票が社会の多様な意見をまとめ統合へと導くと考えているようだが、むしろ分裂をもたらす危険性のあることを忘れている。イギリスでは、都市部と農村部、若者と高齢者、ホワイトカラーとブルーカラーとの間で、かなり明確に投票行動が分かれた。また、独立の機運がくすぶり続けるスコットランドでは、残留派が圧倒的多数を占め、独立を目指す理由がもう1つ増えた。離脱によって直接大きな不利益を被る業界や集団は、この結論を素直に受け入れることができないはずだ。今後、EUの離脱をめぐって様々な課題が浮かび上がってくるだろうが、そのたびに、残留派は離脱派に対して怒りを募らせていくであろう。
イギリスの国民投票では、EUに対する分担金がなくなるので、その分社会保障が充実するといった根も葉もないキャンペーンが展開された。大阪都構想でも、これが実現すれば大阪経済が活性化するという根拠の薄い話がまことしやかに語られた。イギリスでは、元ロンドン市長のボリス・ジョンソン、大阪都構想では、橋下徹市長(当時)といった魅力的な政治家が登場し、弁舌鮮やかに演説している様子が連日メディアを通じて面白おかしく報道された。SNSをはじめとする様々なメディアから錯綜した情報が流れ込むなかで、「民意」なるものが健全な形で作られていく保障はどこにもないのだ。
直接国民に賛否を問う国民投票制度の浸透は、民主主義の進展を告げるものなのかもしれない。しかし、民主化が必ず社会を望ましい方向に導くとは限らない。そこに政治家の存在意義がある。政治家の使命は、たとえ国民に不評を買うような結論であっても、次の世代、遠い将来をみすえ、マイノリティの存在にも目を配り、毅然としてその社会にとって最善だと思われる決定をすることである。政治家が重要な政治的決定の責任を国民に押し付けるような形で国民投票を活用するのは、その果たすべき役割を放棄しているように思えてならない。