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共有地の悲劇-サンマの価格高騰とパリ協定

投稿者 川上 敏和:2016年1月6日
昨年、秋が深まり紅葉も終わりに近づいた頃、ふと気付いたことがある。今年は1度もサンマを口にすることがなかった...。昼休みに行きつけの定食屋さんがあって、日替わり定食には煮魚か焼き魚が必ず出る。去年までは、サンマをまるまる一匹焼いたものが出ていたので、そろそろかなと手ぐすねを引いて待っていた。年のせいか、特にはらわたの部分を食べるのが、ここのところのささやかな楽しみだったのである。などと書いてみたところで、若い諸君にはピンとこないかもしれないが、人生の楽しみに占める食の比重が大きくなった中高年にとっては比較的深刻な事態であり、私自身の悲しみも相当程度に深い。
原因はサンマの値段の高騰である。例えば、日本経済新聞2015年11月8日付の記事には「生サンマ 高値続く、都内店頭で4割高、乱獲影響、水揚げ減」という見出しが躍っている。昨秋は類似の記事が散見された。サンマは中国や韓国などのアジア諸国の他、ロシアでも食される。特に中国やロシアでの旺盛な需要を背景にして公海上で乱獲が起こり、その結果、漁獲高が減少しているとのことである。これは共有地の悲劇と呼ばれる現象の一種である。共有地とは、誰もが自由に利用できる一方で、誰かが利用すると他の人の取り分が減るという性質を持つものを指す。その性質のため、個別の利用者が過剰に共有地を利用しがちになり、使い過ぎによる共有資源の枯渇すなわち悲劇を引き起こしやすい。
水産資源は共有地の代表例である。サンマだけではなく、近年、公海上では様々な魚が乱獲されており、そのため漁獲高が減っているものが少なくない。例えば、ウナギやマグロかつては庶民の魚であったアジなどが挙げられる。共有地の悲劇を防ぐための方策としてよく見られるのは、共有地の自主管理である。共有地を利用する者同士で利用ルールを定めて、お互いにルール違反者がいないか監視し合い、ルール違反者が出た場合にはお仕置きを据える。そのような形である種の協力状態を作り出すことにより、共有資源の取り過ぎを防ごうというわけである。日本では、里山の管理や近海漁業などでこの手法が取り入れられ、上手く機能している例も少なくない。
しかし、残念ながら公海における漁業では、この手法はあまり機能しない。なぜなら、相互に監視し合うことが難しく、またお仕置きも据えにくいからである。里山ならば、利用者も限られていて、お互いに見知った仲であるので、悪さをしたものを特定するのは容易であり、お仕置きを科すことも比較的た易い。ところが、公海は広すぎるので、悪さしているところを見つけるのは困難であり、悪さをしているところを発見しても、逃げられればそれまでである。なにより、国をまたいで利用ルールを定めることからして困難である。
それは温暖化対策の国際会議を見ればよく分かる。実は地球環境も共有地の1つである。温暖化を防ぐために各国が守るべきルールを定めたCOP21のパリ協定が今年交わされた。既に京都議定書締結から18年もの歳月が経過している。結局、京都議定書はほとんどの国が排出削減目標を達成できなかった。パリ協定も削減目標の実効性をどのように確保していくかについては曖昧な部分が多い。グローバル化が進む現在、地球レベルでの資源や環境といった共有地をどのように管理・運営して行くかは、とても重要な問題ではあるが、その答えを導き出すのはとても難しい。そしてそれは食卓からサンマが消えるというような身近なことにも繋がっているのである。結果として、私の深い悲しみも続くことになりそうである。
原因はサンマの値段の高騰である。例えば、日本経済新聞2015年11月8日付の記事には「生サンマ 高値続く、都内店頭で4割高、乱獲影響、水揚げ減」という見出しが躍っている。昨秋は類似の記事が散見された。サンマは中国や韓国などのアジア諸国の他、ロシアでも食される。特に中国やロシアでの旺盛な需要を背景にして公海上で乱獲が起こり、その結果、漁獲高が減少しているとのことである。これは共有地の悲劇と呼ばれる現象の一種である。共有地とは、誰もが自由に利用できる一方で、誰かが利用すると他の人の取り分が減るという性質を持つものを指す。その性質のため、個別の利用者が過剰に共有地を利用しがちになり、使い過ぎによる共有資源の枯渇すなわち悲劇を引き起こしやすい。
水産資源は共有地の代表例である。サンマだけではなく、近年、公海上では様々な魚が乱獲されており、そのため漁獲高が減っているものが少なくない。例えば、ウナギやマグロかつては庶民の魚であったアジなどが挙げられる。共有地の悲劇を防ぐための方策としてよく見られるのは、共有地の自主管理である。共有地を利用する者同士で利用ルールを定めて、お互いにルール違反者がいないか監視し合い、ルール違反者が出た場合にはお仕置きを据える。そのような形である種の協力状態を作り出すことにより、共有資源の取り過ぎを防ごうというわけである。日本では、里山の管理や近海漁業などでこの手法が取り入れられ、上手く機能している例も少なくない。
しかし、残念ながら公海における漁業では、この手法はあまり機能しない。なぜなら、相互に監視し合うことが難しく、またお仕置きも据えにくいからである。里山ならば、利用者も限られていて、お互いに見知った仲であるので、悪さをしたものを特定するのは容易であり、お仕置きを科すことも比較的た易い。ところが、公海は広すぎるので、悪さしているところを見つけるのは困難であり、悪さをしているところを発見しても、逃げられればそれまでである。なにより、国をまたいで利用ルールを定めることからして困難である。
それは温暖化対策の国際会議を見ればよく分かる。実は地球環境も共有地の1つである。温暖化を防ぐために各国が守るべきルールを定めたCOP21のパリ協定が今年交わされた。既に京都議定書締結から18年もの歳月が経過している。結局、京都議定書はほとんどの国が排出削減目標を達成できなかった。パリ協定も削減目標の実効性をどのように確保していくかについては曖昧な部分が多い。グローバル化が進む現在、地球レベルでの資源や環境といった共有地をどのように管理・運営して行くかは、とても重要な問題ではあるが、その答えを導き出すのはとても難しい。そしてそれは食卓からサンマが消えるというような身近なことにも繋がっているのである。結果として、私の深い悲しみも続くことになりそうである。