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沖縄「復帰」50年

投稿者 増渕 あさ子:2022年8月1日

投稿者 増渕 あさ子:2022年8月1日

 今年2022年は、1972年5月15日の沖縄の日本「復帰」¬、施政権の日本国への返還から、ちょうど50年にあたります。1945年4月1日米軍の沖縄島上陸とともに占領が開始され、1952年対日講和条約第三条によって、沖縄はその後1972年まで米国の統治下に置かれることになりました。施政権返還から半世紀を経た今年、関連する書籍や論文が多数出版され、新聞・テレビなどのメディアでも「復帰50年」の節目として、様々な特集や番組が企画・制作されました。NHK連続テレビ小説でも本土復帰を記念し、沖縄本島北部のやんばるを舞台にしたドラマ「ちむどんどん」が現在も放送されています。公式サイトでは同ドラマについて「個性豊かな沖縄四兄妹の、本土復帰からの歩みを描く、笑って泣ける朗らかな、50年の物語」と説明されています。それでは、沖縄の復帰からの50年は果たして「笑って泣ける朗らかな」道のりだったのでしょうか? 
 地元紙『琉球新報』は5月15日付朝刊で「復帰50年特別号」を発行、そこでは1972年5月15日付の『琉球新報』の1面が復刻されました 。1紙面の横主見出しは、当時の記事でも、復刻版でも「変わらぬ基地 続く苦悩」。50年経っても、沖縄をめぐる状況が変わっていないことが強調されています。縦見出しは、当時の記事が「いま 祖国に帰る」、復刻版が「いま 日本に問う」となっています。この記事が示すように、現在でも在日米軍関連施設の約70%が、国土面積の約0.6%しかない沖縄県に集中しています。米軍に起因する騒音・環境問題や事件・事故が絶え間なく起きているだけではなく、政治経済から社会・文化・日常生活に至るあらゆる領域において、基地の存在を前提に議論せざるをえない状況があります。
 こうした中、「なぜ復帰から50年経っても状況が変わらないのか」を問うのももちろん重要ですが、それ以上に、そもそも沖縄の「復帰」とは何だったのか、誰にとっての、何のための、何への「復帰」だったのか、改めて考える必要があるのではないでしょうか。一面では、それは、日米政府の思惑の一致点でした。米国政府にとっては、ベトナム戦争の泥沼化によって財政が逼迫する中、沖縄の施政権を日本に移譲することで、統治や基地維持にかかる経費を抑えながら、基地の自由使用を引き続き維持するという思惑がありました。日本政府にとっては、1965年に沖縄を訪れた当時の首相・佐藤栄作の「沖縄が復帰しないかぎり日本の戦後は終わらない」という言葉に象徴されるように、沖縄の本土復帰は、独立国家としての日本の主権の完全な回復を意味しました。一方、沖縄が「日本でも米国でもない」あいまいな地位に留め置かれたがゆえに、常に米軍の暴力にさらされ不安定な生活を余儀なくされた住民は、日本国憲法下に復帰することで、自分たちの生存・生命が保障されるであろうと希望をたくしました。1960年代以降、沖縄内外で本格化した「復帰運動」では、こうした住民の思いがやがて「祖国復帰」というナショナリスティックなスローガン一色に塗り込められていった面もありました。しかし、1969年の日米政府の沖縄返還交渉で、当初掲げられていた基地負担の「核抜き・本土並み」は結局、実現せず、かえって、復帰後の沖縄への「核の再持ち込み」を認める「密約」が交わされることになります。

 沖縄の詩人・思想家の川満信一は復帰を目前にした1970年1月、次のような文章を記しています。
 「こうした日・米支配者の発想からすれば、沖縄にはこれから後も核基地があるだけで、そこに居住する百万人の人間は、あとにも先にも、生きたままで死亡者台帳の頭数とみなされているに過ぎない。」 2

 東アジアでも最大の米軍基地機能を有する沖縄は、米国が一度、戦争状態に陥れば、いつ攻撃目標とされてもおかしくはありません。現在のウクライナ侵攻も、決してどこか遠くの出来事ではなく、いつ自分たちが巻き込まれてしまうかもしれない危機感とともに捉えられている一方、沖縄戦経験者にとっては沖縄戦の記憶を想起させるものでもあるようです 。3その意味では、沖縄の戦争・占領状態は現在も継続しており、「復帰」はその現実を覆い隠すように機能してきたと捉えることもできます。50年という節目の年だからこそ、沖縄にとって、日本にとって、「復帰」とは何であったのか、何であり続けているのか考えることが、真の平和構築に向けた一歩となるのではないでしょうか。


1.『琉球新報』2022年5月15日、https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1517312.html
2.川満信一「わが沖縄・悔恨二十四年―死亡者台帳からの異議申し立て―」『展望』1970. 1 、『沖縄・自立と共生の思想』(南島叢書、1987年)に再録、p. 137
3.「「沖縄戦とまるで同じじゃないか」栄養失調の妹、折り重なる遺体… ウクライナの光景、よみがえる悪夢『沖縄タイムス』」2022年6月23日