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政策最新キーワード

「スポーツ賭博」

川井 圭司 投稿者 川井 圭司 : 2017年12月1日

拡大する世界のスポーツ賭博市場
 「スポーツ賭博の市場規模は1兆ドル(約111兆円)。そのうちの90%が違法なスポーツ賭博からのものである。」2015年にカタールで開かれた国連犯罪防止刑事司法会議で、スポーツ賭博の専門家 Patrick Jay氏はこのように述べました。スポーツ賭博の対象は65%がサッカー、そしてテニスとクリケットがそれぞれ12%というのです。

 世界ではスポーツ賭博の市場が近年、拡大の一途をたどっており、5年後の市場は今の2倍に達すると予想されています。これまでスポーツ賭博に対してきわめて厳格な態度を取ってきたアメリカでさえその立場を大きく変えようとしています。スポーツ賭博をめぐるお金の流れを少しでも確保したいという思惑があるからです。日本でも、こうしたアメリカの動向に影響を受け、スポーツ賭博の議論が生まれてくるのも時間の問題といえそうです。
 周知のとおり、日本では賭博は犯罪として処罰されます。刑法185条は「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。」と規定しているのです。比較的軽微ではあるけれど、日本では歴とした犯罪なのです。他方、イギリス、オーストラリア、イタリア、フランス、スペインなどでは賭博が広く容認されています。賭博行為を業とする場合(賭博場を開帳する場合)にはライセンスが必要とされているに過ぎず、個人間で「賭け」をすることについてはあくまでも個人の自由であり、国家による規制は存在しません。サッカーやボクシングの勝敗、明日の天気、政治家の選挙、さらには英ロイヤルベイビーの名前などあらゆる事柄が日常的に賭けの対象となっているのです。

賭博禁止の理由
 では、なぜ日本では賭博が禁止されているのでしょうか?この点について、最高裁は「怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、勤労の美風を害する」「副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える」と説明しています(最大判昭和25年11月22日刑集4巻11号2380頁)。ただ、その一方で、国家あるいは地方政府が運営する競馬、競輪、競艇、オートレースの公営競技については例外として容認しているわけです。「んっ?」ちょっと辻褄が合ってないんじゃない!?と思うのも無理ありません。国民の射幸心を煽り、勤労の美風を害することを国が自ら運営していることになるわけですから。
 これについては次のように考えられています。つまり、政府が責任をもって管理する賭博については合法とする。これにより、健全な経済活動や勤労への悪影響があるが、売り上げを公共善に利用することで悪影響にまさるメリットをもたらす。そして、賭博の副次的犯罪については政府が責任をもって取り締まる、というわけです。もっとも、ギャンブル依存症の社会的コストの観点、あるいは若年層や社会的弱者への悪影響の観点から、賭博に対する反発も根強くあります。

スポーツ賭博と八百長の関係
 今回のキーワードである「スポーツ賭博」に話を戻しましょう。このスポーツ賭博は、賭博罪の問題とは全く別の観点からの議論が必要となります。それは、八百長の問題です。サッカー賭博をめぐり欧州を中心に大掛かりな八百長疑惑が発覚しています。2013年、欧州刑事警察機構(ユーロポール)はサッカーの国際試合など680試合で不正の痕跡が確認されたとして本格的な捜査に乗り出した、との報道がありました。今年(2017年)5月には、日本人プロテニスプレーヤーが八百長などを持ちかけたとしてテニス界から永久追放処分を受けたというショッキングな出来事がありました。南アフリカで開かれたツアー下部大会で、自身がコーチを務めた選手を通じ、他の選手にシングルスは2000ドル(約22万円)、ダブルスは600ドル(約6万6000円)で負けるように持ち掛けたとされています。この選手は1カ月間に、禁止されているスポーツ賭博に76回も関与していました。

八百長への悪魔のささやき
 先に説明しておくべきでしたが、賭博とは偶然性の結果に対して金品などの利益の得失を争うことです。明日の天気という偶然性に賭ける場合には、その結果をコントロールすることはできません。これに対して、スポーツや私事に関するイベントについては偶然性があるとはいえ、人為的なコントロールが可能です。そのため、スポーツが賭博の対象になれば、その結果に対してコントロールを及ぼそうとする動機が博徒(賭博をする人)に発生し、選手に魔の手が伸びる可能性が高くなるのです。

公営競技における八百長防止策
 日本で賭博が容認されている公営競技、すなわち競輪、競馬、競艇、オートレースは、他のプロスポーツ競技とは別の扱いになっています。騎手になるためには競馬学校に入学し、不正防止教育も含め競馬に関する講義を3年間に渡って受けなければなりません。そして、競走の前々日(または前日)から、当日まで騎手は競馬場に隣接されている調整ルームに軟禁されます。そこでは携帯電話の使用も許されず、下界とは隔離され、家族やガールフレンドとのコンタクトでさえも禁止されるのです。これらは、すべて八百長の防止を徹底するための規則です。同様の規則は、公営4競技すべてにあります。賭博の対象となる公営競技では、八百長という悪魔のささやきが届かないように様々な対策を講じているのです。

スポーツ賭博はスポーツを変える!?
 下の写真は、オーストラリアの陸上競技をめぐりスポーツマンシップの象徴として、メルボルン五輪の跡地に建立された銅像です。オーストラリアのジョン・ランディ選手は豪州全国陸上競技大会において、1500m走の序盤、走者が密集したコーナーで躓き転倒した選手を気遣って、なんとコースを逆戻りしたのです。そしてランディ選手は転倒した選手に手を貸そうとした後(手を貸す前に、転倒した走者が自ら立ち上がって走りだしました。)、再び快走を見せて、他の選手をごぼう抜きし、なんと1位でゴールしたのでした。しかし、嘱望されていた世界記録の夢は絶たれたのです。世界記録の樹立を犠牲にして転倒した他者を思いやったランディ選手の行為に対して、スタジアムの観衆から大喝采が沸き起こりました。この出来事は豪州のスポーツ史上最も美しいシーンの一つとして今も語り継がれています。
 もっともこれは1956年のことであり、賭博の対象になっていなかった時代の出来事です。賭博の対象となる現在の豪州陸上競技においては、ランディ選手のあの行為はむしろ不正と疑われることになるでしょう。少なくとも、ランディ選手の世界記録樹立に大金を賭けた人々に対する大いなる裏切となるわけです。同じ競技であっても賭博の対象となるか、ならないかで評価されるスポーツマンシップは大きく異なるのです。

 (筆者撮影)
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賭けの対象にされない権利の提唱 
 さて、私は、賭けの対象とされない権利が認められるべきだと考えています。先にみたような影響があるにもかかわらず、無断で賭けの対象とされるのはごめんだ、といえるはずだからです。
 もっとも、八百長という悪魔のささやきに負けるのはあくまでも個人の意思の問題と捉えることもできます。つまり賭博の対象となることで生じる悪影響については個人の良心によって排除すべきという考え方です。こうしたアプローチは個人主義が徹底されている国々で見られる傾向にあります。つまり賭博を容認しつつ、八百長行為に関与した選手を刑罰で厳しく処罰するというものです。他方、日本のような団体主義的、あるいはパターナリスティックな要素が強い社会では、悪魔のささやきが発生する状況を排除するというアプローチ、つまり八百長の原因となるスポーツ賭博そのものを禁止する政策が取られる傾向にあります。個人を誤らせる構造や環境を問題にするわけです。


~スポーツ賭博と八百長の詳細については「スポーツ法学への扉」(法律文化社、2018年3月出版予定)をご覧ください。