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「音楽に政治を持ち込むな」論争と政治的無関心

増田 知也 投稿者 増田 知也 : 2016年7月1日

 第24回参議院選挙の投票日が7月10日に迫っています。今回の選挙は、選挙権年齢が18歳に引き下げられてから行われる初の国政選挙です。若者の政治的無関心が問題とされる中、新たに選挙権を得た10代の若者たちは、どのような判断を下すのでしょうか。

 そんな折、この夏行われるフジロックフェスティバルに、SEALDsの奥田愛基氏が出演するということが、インターネット上で話題となっています。フジロックフェスティバルは、その名の通り音楽イベントなのですが、アトミック・カフェトークというトークコーナーがあり、そこに奥田氏が出演することになったのです。
 この一件に対して、インターネット上では賛否の声が巻き起こり、大きな論争となっています。確かに、純粋に音楽を楽しむためにフェスに出かける人にとっては、そこで政治的主張を展開されるというのは、特定の意見を押しつけられるような感覚を覚えるのかもしれません。また、芸能人がSNSで政治的発言をすると、否定的意見を浴びせられ「炎上」するという光景が度々見られるのも、問題の根っこは同じでしょう。
 しかし、私はこのような風潮に大きな違和感を覚えます。なぜなら、全く政治的主張をしないという態度も、それはそれで一つの政治的立場ではないかと考えるからです。あるいは、音楽から政治性を切り離そうとする主張自体も、政治的主張に他なりません。「音楽に政治を持ち込むな」と主張する者自身が、音楽に政治を持ち込んでいるという皮肉な構図です。いずれにしても、私たちが生活する上で、政治性から完全に自由になるということは不可能なのです。
 私は自治体広報の研究をしていて、ある市の広報担当者から次のような話を聞いたことがあります。「もし、広報誌が個人の意見を載せてしまうと、それは中立性を損なうことになってしまうので、公式の見解だけを載せるようにしている」と。しかし、ある別の市の広報担当者は、次のように話します。「市の見解だけでは偏りがあって、中立ではなくなってしまうので、できるだけ多様な市民の意見を載せるようにしている」と。前者は、公式見解は政治性を帯びず、無色透明なものと見なしているのに対して、後者は、公式見解もある種の政治的主張であり、無色透明ではいられないという考えです。私は後者の考えに共感します。
 若者が政治的無関心になってしまう背景には、政治的発言がタブーとなってしまっていることが大きいのではないかと思います。多様な見解に対する寛容性と、自己主張する勇気、批判に負けない信念を身につけてもらうことが、広い意味での主権者教育に必要なことではないでしょうか。