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他国領土の編入:クリミアとハワイ

川浦 昭彦 投稿者 川浦 昭彦 : 2014年5月7日


   現在のウクライナ危機は、ヤヌコビッチ政権がかねてより進めていた将来のEU加盟につながる「連合協定(Association Agreements)」の準備を昨年11月になって撤回し、突如、親ロシア路線に転換したことを契機としている。この外交方針の大転換に抗議する大規模デモに対する国民の支持が広がり、警察や治安部隊による暴力に訴えてデモを鎮圧しようとしたヤヌコビッチ大統領は失脚し国外に脱出した。今年2月下旬の暫定政権の成立で情勢が安定を取り戻すかと思われた時期もあったが、その後ウクライナ南部のクリミア自治共和国で行われた住民投票で、ウクライナからの分離独立とロシア編入が支持されると、ロシアは即時にクリミア自治共和国の併合を宣言した。ウクライナ領土の一体性を侵すロシアの動きに対して西側諸国が反発を強め、冷戦時代への逆戻りを思わせるような東西対立が起きるまでに至ってしまった。
 そもそもヤヌコビッチ政権は2010年の大統領選で成立した政権であり、それが選挙という民主的なプロセスを経ずに覆されたことをどう評価するかは難しいところである(当時、選挙での不正が疑われたという事実もこの評価をさらに複雑にしている)。しかし、その混乱に乗じて、住民投票において多数が自国への編入を求めている結果が出たからといって、他国を構成する1つの地域を当該国の合意も無しに自国の一部にしてしまうのは、ずいぶん乱暴なことには違いない。
 メディアの中には、ウクライナの混乱、ロシアによるクリミア編入により、国際情勢が第1次世界大戦勃発前と似てきたとの論調もある(中西寛「揺らぐ国際秩序(中):第1次大戦前・不吉な相似」日本経済新聞2014年4月16日朝刊、29頁)。今年が第1次大戦開戦から100周年であることも、こうした議論が持ちだされる理由の一つであろう。しかし、歴史的事件との相似という点に焦点を絞ると、第1次大戦以前の19世紀にも、今回の事例に類似した出来事が、日本人にとっても大変馴染み深い場所で起きていたことを本稿では指摘したい。その舞台はハワイである。
 19世紀末のハワイ王国は、カラカウア王の死去を受けて、妹のリリウオカラニが1891年に女王として即位していた。カラカウア王の時代から米国人入植者たちの政治的影響力はかなり強くなっていたのに対し、リリウオカラニ女王は即位後に王権の回復に努めたため、王室及び王室支持勢力と米国人たちの対立が決定的となっていた。両者の対立は、1893年に駐ハワイ米国公使の要請により米軍海兵隊がハワイ王室の宮殿(イオラニ宮殿)を包囲し、米国人を中心とする勢力が王政廃止と臨時政府樹立を宣言したことで決着した。臨時政府を樹立した米国人入植者達はその後ハワイの米国への編入を求め、米国は1898年にハワイをその領土に編入した。
 ロシアによるクリミア編入と米国によるハワイ編入は、様々な興味深い視点を与えてくれる。クリミアではウクライナからの独立を問う住民投票の合法性は疑われるが、少なくとも「投票」という体裁は取られている。しかし、ハワイでは住民一般の意向とは関係なく王政が廃止された。しかし、第1次大戦前には完全な普通選挙は世界のどこでも行われていなかったのだから、これだけをもってハワイの臨時政府樹立を主導した米国人入植者たちを批判するのは難しい。また、クリミアはウクライナという国を構成する数多くの地域の1つに過ぎないが、ハワイはそれ自体が主権を持った王国であった。この点もまた、主権国家の一部を自分のものとすることと、主権国家そのものを自国の一部とすることの、どちらが罪深いかの判断は難しい。
 この2つの他国領土の編入においてさらに異なっている点は、編入する側の関与である。欧米メディアの報道から判断する限りは、クリミア併合はロシアにより初めから謀られたものである可能性が高いが、ハワイの王政廃止から米国への編入を求める過程においては、米国内でもその妥当性に疑義が投げかけられていた。ハワイ臨時政府からの編入が請願された時に、任期切れ間際であったハリソン米国大統領は編入承認の意向を示していた。しかし、次期大統領のクリーブランドは帝国主義的な領土拡大には消極的であった。特に米国の海兵隊が他国の政権の転覆に関わっていた点を問題視したクリーブランドは、ハワイの状況を確認する調査団を派遣し、その調査結果によりハワイの編入には反対の立場を取った。そのため、ハワイの王政を廃止した米国人入植者たちは、クリーブランド大統領の任期終了まで、「ハワイ共和国」という暫定的な形のまま待たねばならなかった。それが王政廃止から米国への編入まで5年もかかった理由である。
 クリミアとハワイの事例は110年以上の時を隔てており、その時代背景を考慮せずに比較するのは適当ではない。しかし、現代の国際社会で起きている事件と似たような出来事が全く違う時代に起きていたことに思いを馳せることができるのは、歴史を学ぶ意義のひとつである。
(追記:ハワイの米国編入が承認されるまでの5年間に行われた議論に興味のある方は、Thomas J. Osborne, "Empire Can Wait": American Opposition to Hawaiian Annexation, 1893-1898, Kent State University Press, 1981 を参照されたい。)